リヒテルのリサイタル盤

Beethoven: Andante / Chopin: Op.34,31,60 / Debussy

Beethoven: Andante / Chopin: Op.34,31,60 / Debussy

リヒテルのリサイタル盤を聴く。1977年8月26日のザルツブルグ音楽祭におけるライヴ録音である。
 冒頭のベートーヴェンから、美しい音楽が流れ出す。アンダンテ・ファヴォリは、凡庸な主題を巧みに展開した、良くも悪くもベートーヴェンらしい曲で、正直言ってそれほどのものとも思われないが、こうチャーミングに弾かれると、悪くない。
 次のショパンも、ワルツも舟歌もいい。特に、ショパンのワルツの中で最も沈鬱な、op.34-2の表現力はどうであろう。張り詰めたような弱音で、ほとんど止まりそうになるくらいスローに弾かれており、ショパンにここまで深い内容を与えるのは、普通のピアニストの遠く成し得るところでない。
 このディスクで一番聴きたかったのは、後半のドビュッシーだ。個人的にベルガマスク組曲が大好きなので、期待していた。全体的な感想から云うと、遅めのテンポでじっくり微分的に聴かせる、ユニークな演奏になっている。それが一番目立つのが「前奏曲」で、普通は速めのテンポで華麗に弾こうという演奏が多いと思うが、これは、いわば「印象派」的な部分を強調した仕上がりになっている。「月の光」など、限度まで弱く遅く弾いていて、すごい緊張感だ。「パスピエ」が普通っぽく(?)始まると、ちょっとホッとするくらい。リヒテルとしてはあり余る技巧を強調せず、楽々とやっているのが印象的だ。じつに美しいドビュッシーである。
 最後の『版画』も、なんとも(ミケランジェリにも負けず)色彩感の豊かな演奏だ。この曲はエキゾチシズムが特徴だと思うが、これも見事。リヒテルが他にどれくらいドビュッシーを録音しているか知らないが、メインのレパートリーとも思えないのに、魅力的だとしか云いようがない。
 なんとも、生でこれを聴いた人たちは、大満足だっただろう。それにしても、最盛期のリヒテルのピアノの音の美しさは、他に替えがたいものだ(録音もよい)。技術や構築性も言わずもがな。これなどを聴くと、リヒテルは二十世紀最高のピアニストだったと改めて思われるし、これを超えるような存在も、恐らく将来に亙って、現れることがないだろうとも思う。