安藤礼二、畏るべし

場所と産霊 近代日本思想史

場所と産霊 近代日本思想史

何という高い飛翔! 安藤礼二、畏るべし。近頃読んだ本で、これほど興奮と感嘆を誘ったものはない。いつものことながら、本書は自分のレヴェルをあまりにも超えているので、ただ「素晴しい」ということのみ、御伝えしておく。
 メインになっているのは、南方熊楠鈴木大拙西田幾多郎折口信夫など、空恐しいほど深い探求を行なった人物ばかりである。並みの人間では、彼らの思索にかすり傷ひとつ付けることのできないであろう、巨人たち相手に、堂々と渉りあっているだけでも凄い。難解さの中に、まさに日本の(という限定は要らないかもしれない)人文知の最高峰が垣間見られるわけで、冒頭にも記したとおり、著者は哲学や宗教(とりわけ仏教)の翼を駆りながら、あまりにも高いところを飛翔しているのだ。
 だから自分には、本書の内容を圧縮して纏めてみせるようなことは、とても出来ない。それにしても、筆者の手に掛かると、よく知られた人物たちの間に、ちょっと信じられないような関連が次々と見つかるのは、唖然とさせられる。鈴木大拙西田幾多郎の関係なら周知のことだが、南方熊楠鈴木大拙接触というのを探し出してくるというのは、これは驚きである。そんなのが無数にある。文献の渉猟も、どこからこんなものを見つけてきたのか、というのが、これまた一二どころではない。
 「豊か」だというのは、こういう書物のことを指す。現代でも精神的に豊かであり得るのだということは、我々を勇気づける。今でもこんな「文芸評論家」(ほとんど思想家だと思うが)が存在するということが、もっと知られるといいと思うものだ。