カルダーノ自伝

カルダーノ自伝 (1980年)

カルダーノ自伝 (1980年)

著者は十六世紀イタリアの人で、一般に三次方程式の解の公式の発見者として知られているが、本人は、己をまず第一に医者と考えていたようであり、本書にも三次方程式のことは一行も出ていない。それどころか、数学の話自体ほとんどないのだ。まあ、ルネッサンス的万能人のひとりでもあろうか。この自伝は、自分を謙遜したいのか自慢したいのか分らないようなもので、何とも面白い。著者は、神秘体験というか、超自然的体験というか、オカルト体験というか、そのような体験を生涯に亙ってしたようで、いわゆるシンクロニシティの記述もある。彼は寝起きに幻覚を見ていたようで、その記述はなかなか魅力的だ。以下に引いておく。
「目が覚めてから、起きあがるいつもの時刻をまっているあいだ、ある愉快な光景を満喫していたので、待ちぼうけをくわされたといって、一度も不満に思ったことなどない。わたしは、それまでべつに鎖帷子を見ていたわけではないが、おそらくごく小さな環か鎖帷子の環でつくられているのではないかと思われるような、さまざまの像(かたち)、あるいは気体状のものを見ていたのである。それらの像は、ベッドの足を置くほうの右手隅から半円形に顔をもたげ、ゆっくりと左手にさがって消えさるのである。わたしは、城塞・家屋・動物・馬・騎士・草・植物・楽器・劇場・いろいろな顔つきの人物・種々のスタイルの衣装・ラッパを吹きならしているラッパ手などを見たのであるが、声やもの音はまったく聞えなかった。兵士・庶民・麦畑・未知の物体・それに森や林・そのほかのものも見たが、もうよく覚えていない。ときどきたくさんの物体が一団となって、同時にたちあらわれることがあったが、その一つ一つは、互いに混同されることもなく、ただ光をあらそっているだけであった。透きとおった物体でありながら、見かけは固体のようでもあり、一見不透明と思われるほど凝縮されてもいなかった。不透明なのはすでにのべた環のほうで、すき間はまったく透けていた。」
カルダーノは遍く知られた人物ではないが、訳者の云うとおり、ルネサンスと近代の橋渡しをした、ひとりの特異な人物である。本書は、貴重な翻訳だと云えるだろう。