- 作者: 河野哲也
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2011/07/12
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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まず、心が環境とインタラクションするのは当り前であり、意識が外部の知覚に投影されるのも当り前なのではないか*1。どうしてそんなことを、心は脳の中には無い*2などと云って、ことさらにあげつらわなくてはいけないのか。また、「社会」こそ人間の脳の中にあるものであり(犬にとってホワイトハウスの建物が何だろう)、それを考えれば、著者のいう「規範性」もまた、当り前なのではないか。
著者は「クオリア」を否定して(これは当然のことである)、知覚の「客観性」(或は「常住不変性」とも云うべきか)をいうが、知覚が認知システムのメカニズムに左右されるのは、当り前なのではないか。例えばLSDの服用による意識の変容体験は、幻覚とはちがった、「リアル」なものである。意識の変容下で知覚した奇妙なリンゴは、幻ではない。仏教の目的のひとつも、その真理の体得にある筈である。
第三章は本書でいちばん面白い部分だが、ここで参照されている自閉症の記述は、認知がまさしく脳に負っていることを示してはいないか。また、アフォーダンス理論であるが、これは行為の拘束条件に他ならず、意志というものがまったく考慮に入っていない。折角「意欲が人間存在の全体性」(p.158)と、いいことを言っているのに。
これは本書だけの話ではないが、認知科学は、(フロイトの)「無意識」と(ニーチェの)「力への意志」を理論化できない限り、本質的な発展は望めないだろう。