土屋恵一郎の『怪物ベンサム』なる過剰の書

怪物ベンサム 快楽主義者の予言した社会 (講談社学術文庫)

怪物ベンサム 快楽主義者の予言した社会 (講談社学術文庫)

ベンサムというと、功利主義、「最大多数の最大幸福」とくるのが普通であるが、ベンサムのミイラ(オート・イコン)の話から始まるとは。顔は蝋人形であるが、その足元に置かれた、ミイラ化した頭部の写真はなんとも不気味だ。これは…と思って読み進めていくと、とてもよく調べられた学術書なのに、さらにあまりにも過剰で、驚いてしまった。普通、学術書種村季弘は引用しない(というのは間違っているのだが)と思うのだけれど、著者は意に介さない。キューバに現実に建てられたパノプティコンの写真などにも、興奮してしまった。本筋(があるのかとも思うが)の話では、以下を引用しておく。

確かにベンサムの『序説』は「危険思想」である。そこでは社会は伝統的な共同体や歴史から切りはなされて、快感の数値へと組み換えられたからである。社会契約という神聖な近代の出発を否定して、公然と反ホイッグの立場をとった時、ベンサムの社会イメージは、快感と苦痛の数式によって計算され、その物理的条件によって構成された、深度のない、むしろ快感の強度による社会となった。

ここなどを読むと、東浩紀はルソーではなく、ベンサムを読んだ方がよかったのではないかなどと、詰まらぬ感想が浮かんでくるくらいである。ベンサムは、おおよそ衝動というものを感じなかった人間らしいが、こうした彼が「性」や「快楽」ということを大胆に議論の俎上に載せたというのは、面白い話だ。ただしそれは、何故か「不妊」ということと深くかかわっていたのであるが。
 なお、本書が中沢新一の仲介で文庫化されたとか、文庫解説が渡辺京二だとかを知ると、なるほどと思わせるところがある。土屋恵一郎、何者だ…