あまりにも厳しい学問と禅

『求道と悦楽』の続編である。
じつに厳しい学問と禅だ。著者は禅を、実践ではなく言葉と精神によって理解したという。もちろん自分などに、その禅が本物かどうかを知るよしもないが、著者の考える禅は、まことに厳しいものだ。悟って仏になるなんていうのは、悟りに対する固着があってダメだが、そこから一段高いところに立って、悟りを突き放すなんていうのも、これも固着してダメな立場である。さらに…というわけで、どこまでいっても終りがない。著者はこういう立場から、多くのエセ解釈による間違った禅を難詰する。それはもともと、語学的にまともに読まれていない、禅語録の誤った伝統的な読み方に対する学問的批判から始まったものだが、それは畢竟、禅と称してデタラメなことをやっている坊主たちの批判へとつながっていく。それにしても、門外漢の自分などには、これは大乗仏教としてスレスレのところではないだろうかと、そんな気がしてしまうほど、己自身にこだわっているように見える。たぶん、自分の理解がゆきとどいていないせいだとは思うが。一方で、本書には何か強烈な魅力があることも確かである。ここには、学問と生死の探求が、一体となった姿があるのだ。