人は「感性の限界」をどうしたらよいのか?

人気シリーズの第三弾。本書では「感性の限界」ということで、人間の不合理性がディベート形式で論じられる。個人的には目新しいトピックはあまりなかったが、相変らず話題の「料理の仕方」がすばらしい。意欲的な若い人に、本書がどれほどの知的刺激を与えるかを思うと、著者には勝手に感謝すらしたくなる。
 本書でも「科学」がメインだ。人間の「不合理性」を科学が暴くという図になっていると思うが、科学は「合理的」なものと考えられているから、「不合理」を「合理」が暴くということになる。これはパラドックスではないかとも思われるが、実際はそれでよいわけだ。本書流に云うと、「自律的システム」と「分析的システム」の区別であり、似て異なる区分けの仕方がたくさんあるということで、本書でも笑っている発言者がいるくらいだが、却ってその区分の妥当性を示しているものである。「分析的システム」が論理的、科学的思考にあたり、「自律的システム」はいちおう「感性的」思考と言い換えておこう。人間の判断は動物的な「自律的システム」に引きずられがちであり、「分析的システム」の合理的思考に従わないことが多い、というのが人間の「不合理性」なわけだ。
 では「分析的システム」に従えばいいのか。つまり「科学」に従えばよいか、ということになるが、そうとばかりも云えないという話も、本書にはまたある。今回の「原発災害」を見ても、科学が必ずしも人間にとってよいことなのかわからない、という考え方もあるからだ。まあ、昔から言われてきたことだが、本書では問題が新たな装いをまとっているということである。では、結局どうしようもないのか。常識的な解決策になるが、「自律的システム」も「分析的システム」も豊かにし、双方の「対話」を不断に行なっていくしかないだろう。と自分は思うのだが、本書ではそこまでのことは書いていない。それは本書を読んで、みんな考えてみて下さい。