弱者はとにかく生き延びよ、ということ(上野千鶴子を読んで)

生き延びるための思想 新版 (岩波現代文庫)

生き延びるための思想 新版 (岩波現代文庫)

最後は感動した。著者の学問は、まず(モヤモヤとした)実感から始まる。結論は最初にあり、そのために論理が苦心惨憺、探される。これは学問ではないのか? いや、こういう学問もあるし、これこそが人に勇気を与える学問なのだ。だから、著者を「思想家」と言ってもいいのだが、たぶん、著者の方で御免こうむるだろう。
 意外に思われる向きもあるかも知れないが、著者の土台には、平凡な、時としてだらしなくもある「日常」の生活を、徹底して肯定する感覚がある*1。そうでなければ、国家の暴力に反対する思想はやさしいけれど、革命のための暴力まで、それは暴力に過ぎないと、否定し切るのはむずかしいだろう。それは、著者の直感であり、賭けである。テロにせよDVにせよ、弱者の暴力は、結局強者の暴力にやられる。それよりも、弱者は逃げよ、生き延びよと、著者は言う。命以上の価値を持つものなどないと。もちろんこれは、(或る立場からは)簡単に却下してしまえる思想ではある。しかし、徹底したひとつの立場にはちがいない。我々としても、ひとつの立場は根拠なしに持つしかない。著者はそれを、ラディカルに推し進めていく。それこそが著者の学問のような気がする。

*1:著者が中井久夫を読んで、戦争の言説というのはとにかく「魅力的」なのだということに、震撼するところがある。勇ましいし、カッコいい。それに対して、平和の言説は平凡であり、退屈であり、ダサい。平和を維持するためには、頗る継続的な精神力が要る。戦争を始めるのは楽だ。だから、中井氏に拠れば、戦争を体験した人々が死んでいなくなると、次の戦争が始まることが多いそうだ。まったくその通りではないだろうか? 今、そういうことがひしひしと感じられないだろうか?