鳥居龍蔵の手記

ある老学徒の手記 (岩波文庫 青112-1)

ある老学徒の手記 (岩波文庫 青112-1)

著者は明治から昭和を生きた、極東地域における人類学・考古学で大きな業績を残した大学者である。最近ではあまり知られていないが、かつては「小学校も出ておらずに」大成した学者として、有名な存在であったらしい。実際、東京帝国大学の人類学教室を主宰する坪井正五郎が、若き著者を標本整理係として雇うことで、学問を成すことを可能にしたのだった。だから、著者を「在野の大学者」とするのは、誤解を招きやすいだろう。仮に「標本整理係」であろうと、その身分をフル活用して、著者は様々な講義を貪欲に聴講していくし、その学術調査も、東京帝国大学の辞令を以て行われているものが殆どである。民間人として学術調査に当たるようになるのは、彼の学問が汎く知られるようになってからである。ただし、東京帝国大学を辞めるのは、アカデミズムにおける数々の陰湿な「いじめ」があったからなのは間違いない。
 本書の面白さは、著者の奔放さにあるだろう。独自に様々な知識を吸収しながら、機会があれば積極的に極東アジアを調査していく彼の姿を見るのは、一種の冒険物語を読むようだとも云える。なかでも、妻と幼子を連れながら、モンゴルの未開地に入り込んで行くところなどは、誰でも驚かされるだろう。だって、大陸において、妻子とともに危険な渡河まで何度もするのですよ。政情だって、安定しているわけではないし。
 最後にちょっと指摘しておきたいのだが、著者の人類学・考古学調査は、日本の帝国主義的膨張にピタリと即しているのである(朝鮮、台湾、モンゴル、満洲、シベリア、サハリン、千島列島)。これは、かかる学問の本場であった西欧の事情と、まったく同型である。西欧の場合でも、人類学というのは帝国主義と不可分の関係にあった。著者がそのことに自覚的であったのかどうかは、本書からは読み取れない。もちろんこれは、著者を非難しているわけではない。ちょっと気になったまでのこと。ただ、西欧の人類学者たちも、こんな感じだったのかなとは思った。