才人オスカー・ワイルドとヴィクトリア時代の性道徳

いやあ、これは面白かった。傑作評伝というやつですね。オスカー・ワイルドの生涯を描くということは、必然的に、ヴィクトリア時代における性道徳を相手にすることになる。その興味深い背景とともに、ワイルドという才気煥発な人物が縦横に活躍するのだから、読んでいて映画でも観ているような興奮を覚えずにはいられなかった。また、著者の筆の力もすばらしい。同性愛に溺れつつ、無垢さを失わないワイルド、すぐに人間に感動してしまうくせに、悪魔の様な恥知らずの裏切り(それすらも悪意は限りなく少ない)を繰り返す、才気と矛盾の塊であるワイルド。それが見事に描かれている。
 自分はワイルドについてはよく知らなかったし、著書も『サロメ』や短篇集を読んだくらいなので、本書の記述はじつに新鮮だった。まさかワイルドが、ドレフュス事件にまで関係しているとは。まあそれすら刺身のツマのようなもので、特に同性愛で監獄に入れられ、落魄し、それこそ地獄の苦しみを味わうところなど、鬼気迫っている。しかし『獄中記』も読んだはずだが、そこで綴られているであろう「深き淵より」(これが原題である)をすっかり忘れているのは、我ながらどういうものかと思う。これは再読してみたい。それに『ドリアン・グレイの肖像』すら、まだ読んでいないのだ。これはいけない。『レディング監獄のバラッド』も入手して、共に読んでみたいと思う。それにしても、ワイルド本人の言うとおり、彼の作品ではなく、彼の人生こそが、彼のもっとも心血を注いだものであるとは、まったく本書の示すところだ。あたかも、小説であるかのごとくに。もちろん本書は実証の書であるが、詩も充分にあると云っても、よもや著者には怒られないと思う。