維新と会津人
ある明治人の記録―会津人柴五郎の遺書 (中公新書 (252))
- 作者: 石光真人
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 1971/05/25
- メディア: 新書
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編者の父親である石光真清と柴五郎は親しい間柄であったらしく、編者と柴五郎も親しかったようで、その関係でこの「遺書」に接する機会があったらしい。柴五郎は最終的に陸軍大将にまで登りつめるらしいが、飾らない謙虚な人柄であったという。太平洋戦争については、柴五郎は始めからこの戦は負けだと静かに言い続けていたとのこと。一読して、かつてはこうした日本人もいたのだということに、これも何とも言えないような気にさせられる。時代は変ったと、そうして片付けてしまって、いいものなのであろうか。自分などからして、到底及ぶものではない。
小林秀雄との対話
- 作者: 小林秀雄,国民文化研究会,新潮社
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2014/03/28
- メディア: 単行本
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小林秀雄は『本居宣長』の強烈なイメージがあるので、晩年は古臭いものばかり読んでいたように思われているような気がするが、じつは色々貪欲に読んでいたようだ。大江健三郎のことはかなり評価していたようだし、ベルクソンの関係であろう、ドゥルーズのことは高く評価していたらしい(小林はフーコーは評価しなかったそうだ。これもわかる。フーコーの知性は鋭すぎる)。小林秀雄のドゥルーズ論など、是非読んでみたかったと思わずにはいられない。白洲正子さんの文章で読んだと思うが、南方熊楠を白洲さんに薦めたのも小林秀雄である。まあ、そんなことをいくら書いても仕方がない。日本人は変ってしまった、それだけを思う。
※追記 もうひとつ。文章こそが思想だということ。小林秀雄はそういう考え方をする人だった。だから、小林秀雄は、自分の文章に命を吹き込もうと、それこそ血の滲むような努力をした。今では、こうした考え方が馬鹿馬鹿しいと思われることはわかっている。自分でも、概念を転がすことが考えることだと、どうも勘違いしていて気づかないことがあるかも知れない。今風に染まっているのだな。
※再追記 本書読了。本書の最後に、前半の講演録と学生との対話を基にした、小林秀雄自身の文章の定稿がある。自分もかつて全集に録されたものとして読んだものだ。これに目を通してみると、意外にゴツゴツした感じになっていて驚いた。柄谷行人が、小林秀雄は文章を徹底的に直すが、元の方がいいと言っていたことを思い出すが、それはわからないでもない。講演を文章化したものは、わかりやすく、これはこれで魅力的だからだ。小林が定稿にしたものは、確かに難解になっている。しかしこれは、ギリギリの領域で書かれており、こちらも頭をフルに使わないと読み解けないところもあって、これが小林秀雄の書き方なのだと得心するところがあった。結局彼は、「作品」というものに拘りがあったのだと思う。小林秀雄の文章は外国語にも翻訳されているが、外国でもまったく反響がないそうである。確かに、小林秀雄が心血を注いだのは、日本語そのものだったのだ。恐らく、翻訳されたものは、小林秀雄が日本語に注いだ努力を、欠いているのではないかと思う。
西欧型知識人・アーレント
- 作者: ハンナ・アーレント,大久保和郎
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 1969/09/21
- メディア: 単行本
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訳者あとがきで、彼女の師だったヤスパースの言葉に、彼女は(職業的)文筆家ではないとあるが、確かにそうだ。彼女は本を書き終えると、いつもこれは自分の最後の本だというのだが、しばらくするとまた本が書かれる。何か、已むに已まれない衝動があるのだろう。もちろん、能力は非常に高いのだが、それはひとつの要因に過ぎない。結局自分の考えの落ち着くところは、彼女はやはり西欧の知識人であり、その独特の形態なのだということだ。殆どが生産物の輸入者である(これは馬鹿にするわけではない。日本は知的にはある意味いまだに後進国なのだから)、日本のいわゆる「知識人」とは、だいぶちがった存在である。その生態が、個人的にはどうも気になって仕方がない。
「カリブ海域史」が必読だとは
コロンブスからカストロまで――カリブ海域史、1492-1969(I) (岩波現代文庫)
- 作者: E.ウィリアムズ,川北稔
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2014/01/17
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コロンブスからカストロまで――カリブ海域史、1492-1969(II) (岩波現代文庫)
- 作者: E.ウィリアムズ,川北稔
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2014/02/15
- メディア: 文庫
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それにしても、厳しい書物である。本巻はカリブ海域の植民地が次々と独立していく過程を描いているが、著者はそれだからといって、その過程と結果を盲目的に賛美しているわけではない。ここでも、被支配者であった者たちの過ちですら、冷静に指摘・分析してある。甘い要素というものがないのだ。
しかし、世界史というものは恐ろしい。自分としては、日本語の中に自閉して眠ってしまいたいという誘惑を感じずにはいないが、やはりそうはすべきではないのだろうな。今の世界を一瞥すれば直ちに出てくる疑問だが、民族問題というものは、一市民がどれほど考えるべきことのなのだろうか。幸いなのかどうか、日本ではまだそうした問題はさほど全面に出てきていないが、そういうことでいいのか。いや、遅かれ早かれ、日本も「世界並み」に問題化してくるだろう。本書は奇跡的に文庫化されたが、恐らくは無視されるだろうけれど、これからの我々の試金石になるのではないか。稀有の書と云いたい。
橋本治の驚嘆すべき短篇集
- 作者: 橋本治
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2008/02/20
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しかし、著者が自分で書いているとおり、橋本治の小説に賞が与えられたのは、本書が初めてだというのは、殆ど信じられないような気がする。まあ、賞などというのはお遊びみたいなものだが、それでもねえ。ところで、この系列の短編、橋本治は書き続けているのだろうか。そうであれば、それらも是非読みたい。そうでしょう?
農業とマーケットの論理
- 作者: 財部誠一
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2008/11/22
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さて、何かと問題視される現代日本の農業であるが、本書を読んでもわかるように、優れた人材は居る。その点はあまり心配はないと思う。目からウロコだったのは、農業はとてもむずかしく、一時期よく云われた「大企業の参入」というのは、よほどの覚悟がない限り無理だということだ。例えば、農業に参入してまもなく撤退した企業に、オムロンやユニクロ(の親会社)のような、優良で柔軟な企業があることは、農業の「工業化」が洵にむずかしいことを物語っている。病気や虫害によって、農業ハウス丸ごと全滅するなどというのはめずらしいことではなく、リスクがあまりにも大きいのだ。
また、著者がつい忘れてしまうことに、よく非難されるのは、政治家(農林族)や農協、補助金で肥え太る兼業農家だが、これらに対しては何かの方策は殆ど不可能なのである。「腐り切っている」存在が長く存在するというのは、そのような存在に何らかの「合理性」があるからだ。ここを攻めてもまず無理である。それに悪いことに(?)、物のよくわかった、日本の農業の未来をきちんと考えている官僚や政治家も、じつは少なくない。仮に政治家や官僚の大多数が「腐っている」としても、簡単には非難できないのだ。またそれに、意欲的な人材を活用するために、農地の集約が必要だというのもよく云われることであるが、そのような法律もちゃんと存在するのである。著者によると、官僚もまったく怠けているのではなく、云われるようなことはやっているのであって、事実は、そのために採られた措置があまりにも複雑に絡み合っていて、身動きがとれないことらしい。
著者が最終的に到達したのは、農地はいつかそこに道路が通ったり、施設が出来たりして、「宝くじに当たる」可能性が捨てきれないため、農家が手放さないという事実である。それだけではなく、耕作しなくても補助金が出ることがあるし、ずっと所有していても税金が安い。これは、自分の住んでいるあたりを見ても、とてもよくわかる。まさしくそうであり、実際に自分の町内でも、そうした「宝くじ」が当って、お金持ちになった家は一軒や二軒ではない。そうしたことをやめさせるのは、今のままでは無理である。自分の印象では、なかなか農業で日本を救うのは、むずかしいような気がする。希望は、若い人たちの肩に掛っているのだろう。
本書は、全体としてとても誠実であり、よく調べてある。そして、おもしろいしポジティブだ。読んでも損にはならない。
※追記 いま、意欲的に農業に取り組む人たちが活躍できるような、そういう農業が求められているところが一つあると思う。本書にも頻出するが、生産者の方を向く農業ではなく、消費者の方を向いた農業であるべきだ、ということ。これは自分は、さほど実現に問題がないと思う。それは、マーケットの方を向いた農業ということであり、現代は世界的に、すべてがマーケットの論理で動こうとしているからだ。日本でいま苦労している人たちも、遠からずして「先駆者」として敬意を払われる存在になることだろう。一方でまた、農業の市場原理化をどう考えるかという問題がある。農業は生き物(植物は生き物である)が相手であり、自然を完全にコントロールすることは、不可能だし、していいことでもない。もしマーケットを全面的に信頼するなら、消費者のためになる限り、農産物を日本で作る究極的な必然性はなく、必要なだけ(可能性とすればすべてでも)輸入すればいいわけである。著者は、そのあたりをまだ考え尽くしていないように見受けられる。もちろん、自分もまだ答えを持っているわけではない。
絲山秋子はいつもいつもカッコいい
- 作者: 絲山秋子
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2009/12/24
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本書の主題は「フェイク」だとも云えよう。何もかもがフェイク、しかし、主人公でなくとも、フェイクでない奴なんて、一握りだろう。高橋源一郎さんの文庫解説(いつもながら素晴らしい)では「コスプレ」と述べているが、そう云ってもいい。自分は、ファイクを身に引き受けない限り、何にもなれないと思っているのだが。