井筒俊彦『神秘哲学 ギリシアの部』を読む

神秘哲学―ギリシアの部

神秘哲学―ギリシアの部

とりあえず第四章までの、本論は読了。プラトンアリストテレスプロティノスといったギリシアの哲学者たちが、皆「あちら側」を見ていた人たちだったということを論証している。これは例えばニーチェギリシア人の「ディオニュソス的」たるとして言っていたことに通底していると思うが、井筒はニーチェとは比較にならないほど精緻に、かつ正確に理解記述している。それにしても何という知的膂力であり、独創性であろう! アリストテレスの「神秘哲学」など、西洋人も含め、一体誰が読み取ってきたというのか。しかし、論述はきわめて説得的だ。
 第四章で、プロティノスを論じているのも面白い。これも、エマナティオの解釈など、偶像破壊的である。井筒によれば、エマナティオは必ずしも「一者」からリニアになされるのではない。そのように見えるのは、記述の上で正確に言い表しようがないからである。だから、「叡智」と「質料」は、「一者」から等距離にあるとも云えるのである、と。それにしても、これは個人的な感想だが、プロティノスの「一者」は、なんとも真言密教の「大日如来」に似ている。またこれを転じて、物理学の場の量子論の「真空」概念とも比較できないか。いや、場の量子論の「真空」は、おそらく「一者」そのものではないだろうが、つねに粒子の生成消滅で沸き立っており、充実した「無」とも云えるだろう。もちろん、本来はもっと数学的に考えねばならないのではあるが。
 本書は、井筒俊彦が三十代なかばで書いたものである。二十代での『イスラーム思想史』も凄かったが、なんという天才であろうか。その語学力といい、独創性といい、世界的な高峰というしかない。もっと広く読まれることを冀う思想家である。