下からの社会主義化は可能か――ウィリアム・モリスの社会主義

ウィリアム・モリスのマルクス主義 アーツ&クラフツ運動の源流 (平凡社新書)

ウィリアム・モリスのマルクス主義 アーツ&クラフツ運動の源流 (平凡社新書)

「アーツ&クラフツ運動」で知られるモリスだが、『資本論』を熟読し、独特の社会主義をバックボーンにして運動を進めていったという話である。資本主義によって、労働は苦痛と化しているから、仕事を喜びにせねばならない。機械の廃絶、手作業の重視。そして芸術を生活に取り入れる。そんな主張である。Art is man's expression of his joy in labour. 芸術は、労働における人間の喜びの表現である。これがモリスのモットーだった。著書『ユートピアだより』は日本でもよく知られているが、マルクス研究の結実である、『社会主義』なる著書もある。マルクスの娘とも親交があったらしい。
 モリスの社会主義は共同体的なものであり、上からの急激な革命を指向しない。あくまでも、個人的・主体的なものであり、下からの意識改革によるものである。ところで、資本主義は欲望や嫉妬心によって駆動され、またそれらをかきたてる(ラカンの云うとおり、欲望とは他人の欲望である)ことによって回転する。意識改革によって資本主義から社会主義に移行しようとすれば、何らかの形で、人の欲望や嫉妬心を抑えねばならない*1。このようなことは不可能であるとは云わないし、そうなれば一番であるが、はなはだむずかしいことでもある。おそらく、かかる意識の高い、意志の強固な特定の層には可能かもしれないが、大衆がそうなることは、いったん資本主義に浸かってしまえば、きわめてむずかしいことだろう。そして、仮にそれが達成されたとしても、出来上がるものは、一種の宗教的共同体のようなものになるであろう。果してそれがよいのか、どうか、ということもある。エンゲルスはモリスの社会主義を、センチメンタルな空想的社会主義と呼んだらしいが、確かに当たっているところはあるのだ。
 最後に、揚げ足取りをひとつ。著者は、モリスの『News from Nowhere』が『ユートピアだより』と訳されたことを、nowhere に「理想郷」の意味がないということで、かなり咎められておられる。しかし、utopia というのは、ギリシア語で「どこでもないところ(=nowhere)」というのをラテン語風に綴った言葉であるから、これはむしろ「名訳」というべきではないのか。些細なことですが。
 それから、最後の宮沢賢治礼賛は、別に悪いとは云わないけれど、いかにもという感じで、ちょっと紋切型なのではないでしょうか。こういう言説は掃いて捨てるほどある。いい加減、宮沢賢治にすべてを託すのはやめた方がいいと思う。思考の停止を感じます。

*1:それなしで社会主義をやろうとすれば、欲望はどこかで抑圧されねばならぬし、嫉妬心は外部のどこかへ向けられねばならない。