「脱亜論」と「アジア主義」なる対立軸の無意味さ
- 作者: 坂野潤治
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2013/10/09
- メディア: 文庫
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さて、具体性のない賛辞ばかり連ねたが、本書を的確に紹介する能力は自分にはない。ざっと大雑把なことを云えば、従来日本の近代史を語るに、「脱亜論」と「アジア主義」との対立で語られることが多かった(今もそうなのではないか)。しかし、著者はこの対立軸は、ほとんど無意味だということを証明した。例えば福沢諭吉のイデオロギーは、「アジア主義」から「脱亜論」に一八〇度変化したように見える。しかし福沢の目的は、じつは「朝鮮の保護国化」で一貫しており、「アジア主義」を主張した時は「中国が弱い」という認識で、「脱亜論」を主張した時は「中国侮るべからず」という認識であり、違いはその認識の差に過ぎないということである。福沢の中では、基本的に「朝鮮進出」は一貫しており、イデオロギーの違いに見えるものは、中国の情勢判断に因るものなのである。
それだけではない。日清戦争と日露戦争の間の期間において、陸羯南は最初「脱亜論」を唱え、次いで「アジア主義」に変ったとされる。しかし、これも主眼は「南海」「中国」にあることは一貫しており、ロシア情勢が変ったがゆえに、主張も変ったに過ぎないという点、福沢の場合と同型の構造が見られるわけだ。また、同じような構造を、日露戦争以降の山県有朋の言説分析においても、著者は見出している。つまり、「脱亜論」と「アジア主義」の対立は、本質的なことではないのである。
これらの構造がいかにして生まれたのかという考察は、著者ははっきりとは述べていない。しかし著者のつぶやきを拾うなら、近代日本はとにかく対外的に膨張したく、実際に膨張したが、それを論理化する作業は、たとえかの福沢諭吉においてすら、成功しなかったというものである。著者はそうは述べていなけれども、それは日本の思想の失敗であり、敗北であった。もっとも、それが成功していたら、歴史はもっとひどいものになっていた可能性もあろうが。とにかく、そのあたりの混乱は、現代の歴史認識、さらには現代日本の外交にまで、影響していないとは云えないのではないか。