超人的な記憶力の学術的記録

偉大な記憶力の物語――ある記憶術者の精神生活 (岩波現代文庫)

偉大な記憶力の物語――ある記憶術者の精神生活 (岩波現代文庫)

これは面白い学術書だった。或る超人的な記憶力をもった人物(本書では「シィー」と呼ばれている)を、心理学的に研究したものである。この「シィー」の特徴は、記憶力も並外れているが(その記憶力には限界というものがなかった)、驚くべきなのは、まったく忘却しない、ということなのだ。さして特徴のないことを覚えさせても、一年たとうが十年たとうが、まったく同じように思い出せた、というのである。また、「シィー」は明らかに視覚型で、記憶がイメージとして覚えられているというのは、これはよくある話なのだが、ひとつの語に関して、異様なまでのニュアンスが結びついているという。
「たとえば、『1』という数字の場合、それは、自負心のある、背のすらりとした人であり、『2』は、何故だかわかりませんが、陰気な人…(中略)『87』という数字のときは、肥った婦人と長い口ひげのある人を見るのです。」
これは、「シィー」が異様に「共感覚」を発達させていることと、明らかに関係があるだろう。「共感覚」というのは、音を聴くと色や形が見えたり、形を見ると色や匂いを感じるなど、ひとつの感覚に別の感覚が結びつくことをいう。「シィー」はこれが極端なのだ。
 しかし、彼は、知力のすべての分野で超人的なのではなかった。「ある一つのカテゴリーの語を選択的にとり出すという課題は、彼にはまったく困難で」あったという。例えば、記憶させた文の中から、鳥の名前だけを取り出すというようなことである。アナロジーが苦手だったわけである。だから、彼にとって、「詩」などを読むのは殆ど苦痛だったという。知的に偉大な生産をしたわけでもなかった。そこらあたりが、これまた超人的な記憶力をもっていた、南方熊楠などとは違うところである。ただし、「シィー」はごく「普通の」ひとで、精神的な異常に苦しむというようなことも、またなかった。
 最後に、本書の語り口について述べておこう。本書は立派な学術書ではあるが、無味乾燥どころか、とても生き生きした文章で、読んでいて楽しいものだ。これは意図的なもののようで、訳者によれば、「マックス・ウェーバーが述べた『ローマン主義科学』の伝統を自らの立場から復興すること」が企てられているという。稀な学術書だと云えよう。