西田幾多郎論の傑作

西田幾多郎の憂鬱 (岩波現代文庫)

西田幾多郎の憂鬱 (岩波現代文庫)

実に面白く、一気に読み切った。著者のことはまったく知らないが、大変な実力者だということは、読み始めてすぐに判った。きわどいところに果敢に踏み込んでいるところが無数にある。その成否は、菲才たる自分の判断を超えているというのが正直なところだけれども、とにかくスリリングであり、敢て断言すれば、従来の西田像を少なからず変えるに違いないと思う。西田の実生活は、何人もの子供に先立たれ、妻も長い闘病ののちに失い、他の親しい多くの人を先に亡くす等、苦難の連続などという言葉がむなしくなるほど厳しいものであった。師弟関係でも難問が次々と起った。自分が取り立てた、田辺元との離反はよく知られているし、愛弟子の三木清も、西田から離れざるを得なかった。そして戦争。著者はこれら西田の実生活に踏み込み、例えば西田の歌作などにも大きな意義を認めながら、一方で西田の本領たる哲学に対しても、文体論から数学への愛、マルキシズムとの緊張まで、従来あまり見られなかった(ように自分には思われる)切り口を見せつつ、独創的な深い切り込みをおこなっているように思う。著者自身のいくらかパセティックな文体も魅力的だ。
 そして、これは言っておかねばなるまいが、本書で著者は、西田における仏教の存在を、意図的に小さく見積もっている。これは、西田直系の影響もあって、西田を仏教の視点から解釈しすぎることへの警鐘を鳴らしているわけである。これはかなり説得的だった。(もちろん著者は、西田哲学に仏教の影響がないなどと云っているのではない。)他方で、フロイトラカンの理論をいくらか道具に使っているのは、西田の解釈にはめずらしいように感じられる。これも(自分が云うのは不遜だが)決して付け焼刃などではないし、本書のライト・モチーフが「父」ということであれば、当然のことでもあろう。
 繰り返すが本書は、著者の他の著作も読んでみたいような気にさせる、本当に面白い本だ。それにしても、こんなにシブい本が文庫で出るなら、西田の本格的なアンソロジーが文庫にあってもよいと思う。自分のような気まぐれな読者には全集はさすがに購入を迷うところだし、西田に興味をもつ一般読者だって、結構いるのではと推測してしまうのだが。文庫の論文集として、岩波文庫のアンソロジー三巻だけというのは、日本の代表的な哲学者のそれとして、いかにもさみしい話ではないだろうか。

※追記 西田哲学に仏教乃至東洋思想を考えないというのは、やはり問題かも知れない。いずれにせよ、西田を読み直す必要を感じる。(4/26)